中国エリア,武田山

武田山の遠景写真

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武田山

読み方:たけだやま

所在:広島県広島市安佐南区

標高:411m 比高400m

ビューポイント

広島市街、湾内が望める。

概要

武田山は太田川下流域西側に位置しています。
また佐東金山城とも呼ばれた中世期の城郭がありました。
築城年は不明ですが、安芸武田氏(武田信玄の甲斐武田家とは遡れば同族)です。
この時期には山麓には安芸(現:広島県西部)内陸部の年貢を、川船から海船に積み替える港がありました。
港を管轄する事を担う意味からも、広島平野一帯を望める武田山は非常に重要視されていました。
安芸武田氏は天文10年(1541)に大内義隆の命令を受けた毛利元就によって攻め滅ぼされます。
安芸武田氏滅亡後も、この城は重要視され天文15年(1546)に大内義隆は麻生土佐守や右田左馬助を城督に据えています。
また毛利元就は佐東金山城を含む領地を自らの隠居領にしようとしたほどですが、息子の毛利隆元がこの事に不満を覚えてしまいました。
その時に毛利元就は「佐東領を領有した事は、自分の為ではなく隆元の為を思っての事。自分は万が一、70歳まで生きたら何もいらず心安く居りたい事。
10中9は70歳まで生きない事。(※実際には毛利元就は71歳まで生きています。)
その時は隆元が領有し輝元に家督を譲ったら、隆元の隠居分としての佐東になる事。」などを長文で筋立てし諭すという事も起こっています。
登山道は毛利元就が隠居所にしようとした割には、なかなかの疲労感を得る事が出来ます。
特に馬返しと呼ばれる箇所は道と呼ぶには抵抗があるほどの道でしたが、その頂上からの眺めは各大名が武田山を何故重要視したのかも理解出来ると思われます。

《参考文献》

西本省三・葛原克人「日本城郭大系第13巻広島・岡山」P237~239(新人物往来社)
松岡久人「大内氏の研究」P238(清文堂)
岸田裕之「毛利元就」P106~108(ミネルヴァ書房)


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お邪魔します(2015/10/28 16:45)

きれいな山ですね

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